SMAP解散の真相をネタバレ!公開生謝罪の真相(理由)とは?

SMAP解散の真相は?公開生謝罪の理由を調査!

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2016年1月18日に解散報道を否定したにもかかわらず、2016年の年末に解散が現実となってしまったSMAP。

SMAP解散騒動から約6年経過した2023年現在、解散を否定した生謝罪放送の真相(理由)鈴木おさむさんによって明かされました。

なぜあのような形でSMAPの生謝罪放送が始まったのか気になっていた人も多いのではないでしょうか?

もちろん、私もそのうちの1人です。

そこで今回は、「葬儀」「公開処刑」とまで言われたSMAP解散の真相について調査していきます。

>>SMAP本当の解散理由をわかりやすく!真相や現在の人間関係も調査!

目次

SMAP公開生謝罪の真相(理由)とは?

ジャニーズ事務所の画像

SMAPの解散から約6年が経過した2023年1月、ついにメンバーによる謝罪生放送の真相が雑誌にて語られました。

紡いでいた口を、いや筆を取ったのは、番組の放送作家であった鈴木おさむさん。

2016年1月18日番組プロデューサーから呼び出しの電話がありました。

その時の時刻は午前1:30頃、これがSMAP公開生謝罪放送の始まりでした。

電話の内容は「ジャニーズ事務所の意向で番組を一部生放送に変更する」との連絡です。

番組放送開始から20年経過していましたが、これまで当日に生放送が決まったのは初めてで「あり得ない」こと。

さらに生放送決定が告げられた時には、まだ「解散報道の説明をする」ということしか知らされていなかったと語っていました。

そこからどのようにしてあの形が出来上がったのか、記事に書かれている真相をネタバレしていきます。

事情を知った時 【放送まで残り20時間】

午前1:30頃に電話で呼び出され、フジテレビに着いたのは午前2:15頃。

そこでやっと生放送に変更することを聞かされました。

しかし詳しい内容がわからないまま、深夜3時を過ぎてもスタッフの電話は鳴り続け生放送に向けてのやりとりがされていたそうです。

深夜3:00の時点で決まっていたのは「解散しない」「事務所は多くの人に心配をかけたからなるべく明るく前向きに説明をしたい」「最後に全員で歌う」ということ。

最後に明るく歌えば、視聴者の印象が良い方向に行くと鈴木おさむさんも確信していたようです。

ところが午前6:00には「番組冒頭数分間でメンバーが説明する」「歌唱なし」に放送内容が変更。

歌唱なしに変更された理由は“この状況では歌えない”と反対したメンバーがいたからだそうです。

きっとこれまで話がまとまらない間に生まれた解散報道ですから、気持ちがバラバラの状況下では歌えないということだったのでしょう。

そのため歌唱なしの“謝罪会見”という形になってしまったのです。

発言は彼らの言葉だった 【残り7時間15分】

番組生放送をするにあたり、スタッフがSMAPメンバーと打ち合わせと言う名の「本音を聞く場」が設けられたそうです。

実は生謝罪でメンバーが順に語ったあの言葉は、本人たちの気持ちを放送作家である鈴木おさむがまとめたものでした。

鈴木おさむ本人は家庭の事情により直接伺えなかったようですが、他のスタッフが聞いた言葉を紡ぎセリフを考えたのだとか。

中居正広さんは「世間を騒がせ心配かけたことに対して申し訳ない」と思っているが、言葉は最小限に、多くは語らずに伝えたいという思いがあって謝罪のみの発言になったようです。

“彼はいつもグループを客観的に見て自分のことは二の次の人”と語られた中居正広さんにとってのベストだったのでしょう。

そして2時間かけて、それぞれの言葉を紡いでまとめたセリフが完成。

普段どうしたらおもしろいか、かっこいいかを考えてきたにもかかわらず、謝罪の言葉を考えている時間は私たちの想像以上に苦しかったはずです。

出来上がったものは他スタッフにも確認してもらい、更には本人たちが読む前に事務所に確認することとなりました。

事務所からは「もっと個人の思いとか言葉はないのだろうか」という要望が来たそうです。

指摘があったように変えてみるも、多少の違い。

それでも事務所からは了承が出てセリフまで決まり、残るは本人に伝える番。

全員の楽屋を周りメモを渡していく中、メンバーはいつもと変わらない振る舞いだったそうです。

メンバーだけでなくスタッフも皆“いつも通り”を演じていたのだと思います。

問題のセリフは本人の意思ではなかった 【残り1時間】

放送まで1時間を切った頃、スタッフ数人がある楽屋へ呼ばれて紙を渡されたそうです。

それはA4サイズの紙にびっしりと文字が書かれた、事務所のとある人からのメッセージ

雑誌内では差出人の名前はなかったものの

事務所を作った、「ソウギョウケ」のトップの一人であり、この日本で唯一無二のプロダクションを作り上げてきた女性によるものだった

との描写。

“トップの一人”ということは、メリー副社長だと推測できます。

内容は「何も意味がない、何も大切なことを伝えてない」と強烈な熱量で書かれていたのだとか。

そして紙には“絶対言うべき言葉”まで書かれていたそう。

その言葉は、今まで25年以上やってきたメンバーの一人が社長に謝る機会を作ってくれたおかげで、「今、僕らはここに立ててます」というものだった

そう、あの違和感があったセリフの真相は、メリー副社長の指示だったのです。

セリフを考えるにあたって1対4の構成は作りたくなかったため、あえてぼかしたセリフを考えていたそう。

しかしそれを間違っていると指摘したメリー副社長に対し筆者は「全てがこの人の目には透けて見えていた。見逃さなかった。許さなかった」と書かれていました。

組織にいる者としてトップに従うことが絶対。

それを守るための“正義”があの形になってしまった理由なのかもしれません。

けれども「言わせたくない」との思いから指示されたセリフに反対するも、断られてしまったそうです。

当時のことを「従うしかなかった」と振り返っていました。

問題のセリフを背負ったのは草彅剛 【残り45分】

次の問題は誰がこのセリフを言うのか…。

“言わせない”という選択肢はなくなり悩んだ結果、スタッフ達は仕方なく草彅剛さんに頼むことを決めたそう。

鈴木おさむは「残酷なセリフだと分かっていながら」「従うしかなく、時間が迫っている中、彼の優しさに甘えるしかないと思った」と当時の心境を振り返っています。

草彅剛さんは新たなセリフが書かれたものをじっと見つめ「わかった」と一言、スタッフに視線を送り答えたそうです。

何も言い返すことなく、スタッフの心境と「誰の指示なのか」を全て理解した上での返答だったのでしょう。

“言わない選択肢はない”と察して、誰かが言うなら自分が…と引き受けたのかもしれません。

終わりの始まり【放送開始】

そして、いざ始まった放送は黒いカーテンの前に黒いスーツを着たメンバー5人。

重々しい空気間の中で最初に語ったのは木村拓哉さんでした。

そして残り4人のメンバー達も順に口を開きます。

筆者は中居正広さんについてこう語っていました。

「メンバー1人ずつの言葉が彼の心臓を突き刺していくのがわかった」

「グループを心から愛していたリーダーのその顔を、僕は見ることが出来なかった。息が止まりそうだった」

生放送中にSMAPが語った時間はたったの2分44秒

生放送が終わってもメンバー達は何も口にしない、そんな異様な時間だったようです。

そして今まで誰かに笑ってもらう為に作っていた番組で、“とんでもないもの”を“誰も望まないもの”を放送してしまったと感じたとのこと…。

罪悪感によりメンバーの帰り際に「お疲れさまでした」と言うことだけが、その時の精一杯。

その気持ちを察してか中居正広さんはエレベーターに乗る前に「お疲れ様。色々ありがとうな」と手を握ったそうです。

それは放送開始から20年もの付き合いで、初めての出来事。

一番辛かったであろう中居正広さんからの「ありがとう」という言葉に胸が痛み、その場でひざまずいて泣き叫びたい気持ちだったと語っています。

さらに翌日から鈴木おさむは、生放送がどんな印象を与えたかを知ることになりました。

セットの影響で「葬式」と呼ばれ、ワイドショーで取り上げられ、“史上初の誰も望まれていない放送”になったと実感。

望まれないテレビを作ってしまった一人である筆者は「テレビを作る人間としてあの時終わった。死んだ」そう思いつめたようです。

スマスマ最終回 【2016年12月26日】

そして公開生謝罪放送から約7カ月で解散を発表し、あえなく最終回を迎えることになったSMAP×SMAP。

それからの撮影は緊張感が走る場面があると、稲垣吾郎さんがメンバー内の架け橋となり空気を作ることが多かったそうです。

その優しさにスタッフは感謝しており、無事に最終回を迎えられたのは稲垣吾郎さんのおかげだと言い切れるほどだとか。

そして迎えた最終回で新しく収録した内容は最後の1曲「世界に一つだけの花」を歌唱したシーン

歌い終わりにはカーテンが閉じて収録は終了。

1月の生放送以降初めての歌唱がグループ最後、中居正広さんは涙を堪えきれずに背を向けて、他のメンバーも涙をこらえていたそうです。

今までの思いなのか、最後の在り方なのか、最後の貴重な時間で気持ちが溢れかえってしまったのでしょう。

しかし“泣くべきじゃない”と考えたのか、誰にも見せぬように背を向けたのかもしれません。

いつの間にか今まで携わってきた100人以上ものスタッフ1人1人とメンバーが写真撮影をおこなう流れになったと言います。

感謝の言葉を伝えながら丁寧に時間をかけて、写真撮影をしていったそうです。

そして撮影中のSMAPメンバーの顔には笑顔が浮かび、まるで昔に戻ったように感じたそうです。

スタッフを交えながら5人の空間が戻り、ずっと続けばいいと願うも時は残酷で終わりが来てしまいます。

全員の撮影を終えると、スタッフから盛大な拍手が送られた中居正広さんから順にスタジオを出たそう。

最後に去った木村拓哉さんへの様子を

決して今までブレることのなかった彼が、全力で前に突き進んできた彼が、足を止め。そして去っていった4人を見て……。自分に言い聞かせるようにして、一歩踏み出した。

と書かれていました。

そしてメンバー全員が帰っていき、スタッフが皆一息ついているところに帰ったはずの香取慎吾さんが戻ってきたのだとか。

誰に声かけるでもなく既にセットを片付け始めているスタジオに入り、最後に歌ったステージに近づきそっとキスをし帰路についたそう。

その姿を見て筆者はやっと涙が出たと語っていました。

SMAP解散の真相をネタバレ!公開生謝罪の真相(理由)とは?

まさか語られるとは思わなかった、生謝罪の真相はいかがでしたか?

違和感のあった放送とセリフの理由が、まさかこんなに複雑で残酷なものだとは思いませんでした。

私は読みながら涙してしまいましたが、SMAP解散の真相や公開生謝罪の理由を知れたことに関しては良かったと思います。

全30ページにも渡って書かれたSMAP解散の真相は、もちろんここに描かれていることが全てではありません。

更に詳しく知りたいと言うはぜひ文藝春秋を手に取って、見ていただきたいです。

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コメント

コメント一覧 (7件)

  • どちらにお住まいです。東京近郊でしたら世田谷区八幡山の大宅壮一文庫に行かれる事を勧めます。

    2016年1月28日号週刊文春に会見日の前夜1月17日深夜.4人がジャニーズ事務所に行った記事と写真が記載されています。事務所を出た4人は西麻布の焼き肉店に向かい18日午前2時店を後にしたとあります。雪の降りしきる中、車に乗り込む草彅さんの写真もあります。

    同じく2016年1月28日号週刊新潮には、4人が事務所を訪ねた事により、騒動の早期収拾へ
    一気に舵が切られたと話すフジテレビ関係者の話が載っています。

    2018年8月16日23日週刊文春 夏の特大号で
    阿川佐和子さんと対談した稲垣吾郎さんが
    解散の経緯、語っています。

    ぜひ、行って読んでください。ネットで検索すれば電話番号もわかります。
    入館料は500円です。

  • 失礼します。

    2016年1月28日号の週刊文春が(発売21日)
    「スマスマ会見」前日17日深夜、メンバー4人が、渋谷にあるジャニーズエンタテインメントを訪れた事を記事にしています。

    4人が事務所にいた時間は一時間三十分、事務所を出た後、西麻布の焼肉店へ、焼肉店を
    後にされたのが、18日会見の日の午前二時。
    雪が降る中、車に乗りこむ姿の写真があります。18日はめずらしく雪の日と判ります、

    そのあと、4人はフジテレビに行かれたのですね。鈴木さんは2時15分フジテレビに着いた。その後6時に「大体の中身は決まった、
    番組冒頭の数分間、メンバー全員で説明すると言う事。歌唱はなし。歌唱がなしになったのは、この状況では歌えないと言うメンバーがいたから。   

    フジテレビの現場に「歌えない」と言ったメンバーがいた事が判ります。後わかることは、事務所が歌ってほしいと希望された事を
    歌えない無いと拒否出来たこと。

    事務所側の希望としては、今回の騒動で世の中の人に沢山の心配をかけたから、それをなるべく明るく、前向きに説明したい。

    明るく前向きの説明が公開処刑になって、その上、歌う事は拒否出来たのです。

    4人は17日深夜、脱退届を取り下げに行かれたのだと思います。

    1月13日時点で「退所届」を出していたから、大きな騒動になっていた、SMAPの契約更改は9月。取り下げなければ、4人は2016年9月9日には退所の筈です。

    実際に退所されたのは2017年9月、中居さんに至っては2020年3月。脱退届を取り下げに行かれた事は間違いないと判ります。

    すると、わかるのは、もしも会見が公開処刑に見えたのなら、メンバー自身が見えるように演じたと言うことですね。事実が証明しています。3人は飯島さんと地図へ。飛び出そう縛り付けるものから!

    中居さんは独立、そのものが魅力的だったのかな、ジャニーズと良好な関係を築いてから独立されましたから。

  • 2016年1月28日号週刊新潮
    独占100分メリー喜多川かく語りき
    新潮が1月15日取材申し入れ16日実現。

    新潮質問
    飯島氏と行動を共にすると言う態度を見せた4人のうち3人は「笑っていいとも」のレギュラーでした。彼らとタモリさん即ち所属事務所「田辺エージェンシー」との関係が深く、その縁で稲垣吾郎さんを含めた4人を田辺が引き取ると言う解説が巷間なされているようです。この解説はメリー副社長の印象と
    合致するものでしょうか?

    メリーさん
     昨年末12月27日だったと思いますが、私の友人(小杉さん)からの伝言で.田辺さんが私に4人を元に戻してくれないかとおっしゃっている事を知りました。田辺さんはSMAPは一つであるべきだし、ジャニーズを出てはいけないとお考えのようでした。

    田辺さんが、そうやって仕切ってくださるのであれば、受け入れますと、その友人を通じてお返事しました。

     それだけでなく、明けた1月2日には田辺さんに電話をかけ、改めて「お受けします」と言いました。田辺さんによれば中居に3人と事務所に挨拶に行くこと、そうして仲間の一人とある意味喧嘩みたいになっているのだから、木村にも謝りなさいと既に伝えてあるとの事でした。

    ーー仮にこの時、中居サイドが、すぐに事務所に赴いていれば、今回の一件は起こらなかったに違いあるまい。しかし不幸にも事は、そう運ばなかったーー

    ところが中居からも誰からも連絡ありません
    年末から既に一週間以上たっています、私は1月7日迄待ちましたが、何の動きもないままでした。

     そこで私はもう一度、田辺さんに電話をして、先の友人と一緒に田辺エージェンシーに
    伺ったのです、それが1月8日。その席で「田辺さんお心遣いありがとうございます。でも誰からも連絡がないので、私はやっぱり受けない方がが良いと思います。」

     田辺さんは私たちが御礼に来たと思っておられたのではないでしょうか。それを聞いて
    大層驚かれました。

  • メリーさんの話とSMAPの当時のスケジュールを時系列で

    2015年12月27日  田辺エージェンシー社長から、4人をもとに戻してと依頼。 

    2015年大晦日 SMAP紅白出場

    2016年1月1日 SMAP CD TV出演

    1月2日 田辺さんが中居に3人と事務所に
        挨拶に行くよう伝えたとおっしゃる
          
    1月6日  スマスマ新年度初収録日
    1月7日  スマスマ収録日
    1月8日 メリーさん田辺受け入れ断る。

     12月27日田辺さんが4人を戻してこられて以来、大晦日1月6日7日と3回もメンバーは顔を合わしている、それにもかかわらず事務所に挨拶に行っていない。
     
    1月13日 スマスマ収録日
     SMAP解散 スポーツ紙報道4人脱退届 
    1月14日 スマスマ収録日

     1月18日の会見、鈴木さんによると事務所の希望は、なるべく明るく前向きに説明したい。そして出来れば最後に歌を歌う、彼らのヒット曲を。

     僕もそういうものになるのだと思っていた正直どんな話をしたとしても、最後にみんなが笑顔を見せて歌ってくれれば、番組を見た人の頭の中から「解散」と言う文字は溶けていくんじゃないかと思った。

    「2016年1月18日 午前6時」
    大体の中身は決まった、番組冒頭の数分間でメンバー全員で説明すると言う。
    歌唱は無し。
    歌唱がなしになったのは、この状況では唱えないと言うメンバーがいたからだ。

      
    鈴木さんの小説からわかる事は、事務所の意向を拒否できたとう事ですね。

  • SMAP解散の真相

    先ず 飯島さんが独立を画策、メンバーにはかる。

    2018年8月16日23日 週刊文春夏の特大号   稲垣吾郎 対談 阿川佐和子

     阿川さんの解散に至った経緯の質問に  

    稲垣
     5人みんな同じ位グループのことを大切に思っていましたが、突然岐路に立たされて自分の人生の選択を迫られた、メンバー5人での話し合いもあったし、4人でも話し合ったし、1対1でも話し合いました.。
    最後の決断はそれぞれが責任を持って.決めたことですと話す。

     稲垣さん自身は、40を過ぎて今までと同じことをやり続けることの葛藤がありました
     もちろん今まで積み重ねてきたものは大切ですし、その中でもファンの皆さんの存在はいち番大きい、それを崩したくはないけれど、やっぱりステージとしては、違うところに行きたいなぁと言う思いがあったと話す。

  • 2016年8月25日号週刊文春
    のぞみ総合法律事務所にて、メンバーの意思確認の記事。

    2015年1月13日文春メリー氏インタビュー
    「対立するならSMAPを連れて行くと言っても今日から出て行ってもらう、あなた辞めなさいって言いますよ」

     この直後から飯島氏フジテレビの打ち合わせをキャンセル、関係者との連絡を絶ち、側近を招集。

     6月 飯島氏独立の動きを事務所が把握。業界内に独立の噂広がるも、メンバー契約満了届提出されず。

     9月 メンバー契約更新
     
     10月飯島氏独立を申し出

    のぞみ総合法律事務所にてメンバー意思確認
    真っ先に独立の意思を表明したのは香取。

    他の4人も別の日行われたが木村は残留表明稲垣、草彅独立 中居は態度保留。

    10月22日中居、ジャーニー氏誕生会出席

    11月中居・稲垣・草彅・香取事務所退社届

  • <>
    12月27日田辺エージェンシーより4人を戻してと依頼、(11月退所届を出した4人)

    12月31日  紅白歌合戦出場

     元旦  TBS.CD TV出演  
     「Battery」「$10」からダンスを繰り広げ   る「SHOW TIME」に続いて「STAY」
    「CRAZY FIVE」香取さんは「17日から
      始まるドラマ「家族のカタチ」見てね!
      叫んでた。いつものSMAP、田辺仲介を
      受けて、SMAP続ける予定だったと解る

    1月2日 メリー氏田辺さんに電話。田辺さ
    んから中居に3人と事務所に挨挨に行く
      よう既に伝えてあると聞く。

    1月3日 文春グラビアページ、写真説明
      騒動前の1月3日、香取慎吾は都内で
      飯島氏と密会していた。飯島氏の愛車の
      中で30分程過ごした後、外に出た香取は
      物思いにふけるように、夜空を見上げな
      がら煙草を燻らせていた。

    1月6日 スマスマ新年初収録日
     7日 スマスマ収録

    1月8日 メリー氏、田辺エージェンシーに田
      辺さんを訪ねる、中居からも誰からも
      何の連絡もない。受け入れない方が良い
      と思うと4人の受け入れを断る。
        
    同じ8日 文春記事
      奇しくも、この日小誌は中居がキスマイ
      のメンバーと共に都内の創作料理店で
      新年会に興じる姿を目撃している。
      中居は会合の途中、慌てた様子で外に
      出ると携帯電話をかけていた。約20分 
      の会話の間に中居の表情は目まぐるしく
      変わり最後に電話の相手に深々とお辞儀
      をすると鬼のような形相のまま会合に
      戻っていったのだ、電話の相手は飯島氏
      か。それとも別の後だてが、いたのだろ
      うか。

    1月11日 のど自慢出演

    1月13日 SMAP解散報道 スマスマ収録日
    1月14日 スマスマ収録日
    1月15日
    16日
    17日 文春記事
        生中継が行われる前日1月17日の夜
       小誌は木村以外のメンバーが渋谷にあ
       る、ジャニーズ事務所の関連会社「ジ
       ャニーズ、エンターテイメントを訪れ
       る姿を目撃している、草彅が明かした
       ように、この晩4人は木村の仲介でジ
       ャニー氏に騒動後初めて会ったのだ。

       ジャーニー氏と4人の面会時間は1時間
       半に及んだ。面会後、会社を出た4人
       は、そのまままっすぐ西麻布の焼肉店
       に向かい店を貸し切りにして遅くまで
       語り合っていた。一度は独立を決心し
       ながら、断念しなければならなかった
       4人のメンバーの胸の中にはどんな思
       いが去来していたのか。
       
       雪が積もり出した18日午前2時頃、店
       を後にした。

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